今日も普通の一日だった。
こういう日には必ずあることを思う。いとことでいえば
「こんなんでいいのか、俺は」
っていうやつである。
私はもともと自分が嫌いである。憧れるのは日本の戦国時代の、立花道雪や高橋紹運のように、誰かのために死ねる、とか、自分が信じた義のために死ねる、といった生き方である。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
というやつだ。
ところがどうだ、今の自分は。別にいつ死んでも良いとは思うが、たいしたことは何もやってないし、結局人に流されるままで終わってしまいかねない。どんな世の中でも「正直者は馬鹿を見る」なんていうが、正直に生きても卑怯者(「正直者以外」くらいの意味しかないよ、この場合は)に負けないくらいの強さがほしい。
昔を見ても、劉備元徳、上杉謙信のように、「正義」をモットーにしてもつぶされない力を持った人がいた。別に「正義の代行者」になりたいなんて自分を買いかぶったりしようとは思わないけど、せいぜい、死ぬときには自分が「愚直」に生きた、と思えるように生きたいと思う。「愚直」って言う言葉は「正直すぎて、融通が利かない人」の事を指すけど、私はそのような人生を美しいと思うし、そうありたいと思う。
駄文且つ散文であることを、深くお詫びします。
ちなみに、立花道雪は、戦国時代の九州大友家家臣。衰退の一途をたどる大友家中において主家を支え続けた名将。ちなみに、若いころ(といっても2〜30代だろうが)雷を切ったときに下半身が動かなくなり、輿に乗って敵陣に突入していたという。「家臣に臆病者がいるとすればそれはそいつのせいではなく、大将の責任である」とのこと。さらに「他家でそのようなものがいたなら私の元に来ればきっと活躍させて見せよう」とまで言い切ったとか。
ついでに、高橋紹運も大友家家臣。長男の宗茂(最初は統虎と名乗っていたが、メンドイので統一)は立花道雪の婿養子になる。それがかの有名な立花宗茂だがそれはおいといて、道雪に息子のようにかわいがられ、道雪死後、いっきに滅亡のふちに立たされた大友家に忠誠を誓い続け、700名の将兵とともに1586年(豊臣秀吉の九州征伐の1年前)、岩屋城で半月の攻防の末、敵兵(反大友連合軍)4000あまりを道連れにして壮絶な討ち死にを遂げる。救援が間に合わなかったことを知った秀吉は悲しんだという。
こういう日には必ずあることを思う。いとことでいえば
「こんなんでいいのか、俺は」
っていうやつである。
私はもともと自分が嫌いである。憧れるのは日本の戦国時代の、立花道雪や高橋紹運のように、誰かのために死ねる、とか、自分が信じた義のために死ねる、といった生き方である。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
というやつだ。
ところがどうだ、今の自分は。別にいつ死んでも良いとは思うが、たいしたことは何もやってないし、結局人に流されるままで終わってしまいかねない。どんな世の中でも「正直者は馬鹿を見る」なんていうが、正直に生きても卑怯者(「正直者以外」くらいの意味しかないよ、この場合は)に負けないくらいの強さがほしい。
昔を見ても、劉備元徳、上杉謙信のように、「正義」をモットーにしてもつぶされない力を持った人がいた。別に「正義の代行者」になりたいなんて自分を買いかぶったりしようとは思わないけど、せいぜい、死ぬときには自分が「愚直」に生きた、と思えるように生きたいと思う。「愚直」って言う言葉は「正直すぎて、融通が利かない人」の事を指すけど、私はそのような人生を美しいと思うし、そうありたいと思う。
駄文且つ散文であることを、深くお詫びします。
ちなみに、立花道雪は、戦国時代の九州大友家家臣。衰退の一途をたどる大友家中において主家を支え続けた名将。ちなみに、若いころ(といっても2〜30代だろうが)雷を切ったときに下半身が動かなくなり、輿に乗って敵陣に突入していたという。「家臣に臆病者がいるとすればそれはそいつのせいではなく、大将の責任である」とのこと。さらに「他家でそのようなものがいたなら私の元に来ればきっと活躍させて見せよう」とまで言い切ったとか。
ついでに、高橋紹運も大友家家臣。長男の宗茂(最初は統虎と名乗っていたが、メンドイので統一)は立花道雪の婿養子になる。それがかの有名な立花宗茂だがそれはおいといて、道雪に息子のようにかわいがられ、道雪死後、いっきに滅亡のふちに立たされた大友家に忠誠を誓い続け、700名の将兵とともに1586年(豊臣秀吉の九州征伐の1年前)、岩屋城で半月の攻防の末、敵兵(反大友連合軍)4000あまりを道連れにして壮絶な討ち死にを遂げる。救援が間に合わなかったことを知った秀吉は悲しんだという。
コメント